博士の価値-2
2009-03-28に書いた「博士の価値」の続き。
web2.0*1流れを受け「集合知」の効用については良く知られていると思う。これも良く知られていることだと思うが、一言で「集合知」といっても大きく分けて2種類ある。一つは"collective Intelligence"で、もう一つは"wisdom of crowds"。
私の認識では、"collective Intelligence"の方は、とにかく集合であることに意義がある情報で、サービスで言うと、google、PubMed*2みたいなやつ。"wisdom of crowds"は、ただの集合にすぎなかった情報が人の解釈を経て、より価値のあるものになった情報*3で、3人寄れば文殊の知恵の現代版。サービスで言うと、wikipedeia、はてぶ等のソーシャルブックマーク、Linux、Q&Aサイトみたいなやつ。
"wisdom of crowds"が起こるには、前提として"collective Intelligence"の状態が整っている必要がある。
web2.0の流れを受けてか、集合知は「多くの人」による大量の情報の寄せ集めとして使われることが多いのだが、これは「一人の人間」が"wisdom"を得るのと同じ仕組みだ。つまり、ある"wisdom"を得るためには情報を集める必要があるし、一方で、情報量が増えると様々な"wisdom"を思いつく(ことがある)*4。blogやソーシャルブックマークは、一人の人間の中で「集合知」を実現するとても良い仕組みだと思う。
ところで、重要な発見・発明は同時期におこる(こともある?)。例えば、電話の発明*5、電球の発明*6、人力飛行機なんかもそうらしい。発明は時代背景と密接に関連している。な〜んて言われるけど、情報の流通が限られていた過去においても発明が同時期に起こっていたということは、時代に蓄積された「知の量」にも関連していると思う*7。
・・・そんなことを考えていたら、堂堂周さんとがくさんのblogで特許制度は大幅な見直しが必要という記事を発見した。
趣旨は以下の通り。原文はサイエンスに載ってるらしいので読んでみよ。
特許取得者だけが一定期間、先行者利益を得る特許制度よりも、ほかの発明者も自分の発明の重要な部分の使用権利を売買取引できる市場制度の方が、受益者の数、共同研究の水準、開発スピードの面で特に優れている。
市場制度により時代に蓄積された「知の量」が増えたと勝手に解釈、自論が裏付けられたようでちょっとうれしい。
ながなが書いてきたけど、そもそも科学(研究)は先人たちの「知」の上に成りたっている"Collective Intelligence"なのだ。情報入手が簡単になった現代に"wisdom"、つまり、「おもしろい研究」がしたかったら、自分の中で「集合知」を実現する必要がある(言い過ぎ??)。